嵐の中で輝いて

一握の砂、大海の一滴にでもなれるものなら喜んで

2020年12月31日に寄せて

イオンです。ご無沙汰していま(せん)
大晦日のステージを見届けた後はもしかしたら感情がキャパオーバーしてしまって文字を入力するどころではなくなってしまうかもしれないと思うので、この文章は12月27日に打っています。これをあなたが読んでいるということは、わたしはやはり語彙を失ったということです…()



活動休止の一報から、1年11ヶ月。あっという間でした。だけど同時に、思い返せば本当にいろいろな思い出の詰まった濃密な時間でした。
ありきたりな表現ですが、それだけたくさんの人が心から共感できるからこそ、よく使われる言葉なのでしょう。これ以上ぴったりの言葉は思いつきません
長いようで短かった。

そしてその間わたしは嵐からできるだけ目も心も離さず、それまで以上に(表向きは(←))「わたしの考えた理想のファン」であろうとしました。
だって、きっと嵐自身が嵐を一番大好きで、休止を寂しいと思っていて、だけど笑顔でファンを笑わせてくれるのに
わたしの身勝手な嘆きなんかが、嵐を責めたい誰かの餌にされてしまうのは絶対に嫌だったからです。

(なので、何かを言うよりも言わない方に気を遣い、夜中にネガティブなツイートをしてはよく消すようになりました。
消すくらいなら書かなければいいのにね。そうね)

嵐が5人でなにかしているところを、しばらく見られなくなる。
それを、ただちょっと忙しくてテレビを見られないだけの時と同じこと、と思える日もあれば
しばらくっていつまで?! 個人の活動は? SNSはどうするの? 本当に戻ってきてくれる?! と取り乱す日もあり
ああ、本当に心の、かなり真ん中近くに嵐を置いて生きてしまっていたんだなと…、そんな自分に驚く時間でもありました。

そして、今まではこれだけのものを全部、嵐がわたしの心から消して、忘れさせてくれていたことを…
5人がまだいつも通りの笑顔で画面に現れてくれるうちに気づけたのは、本当に幸いだったし
それはやっぱり他ならぬ、ほぼ2年という年月のおかげだと思っています。
あっという間だったけれど、その中でも少しずつ少しずつ、嵐が休止するという現実に体を慣らすことができたように…、現時点では、思っています。

でも、どんなに泣いたって、
泣けもせずに立ちつくしたって、
嵐を知らないよりずっとずっと幸せなのは疑いようもないし
わたしはできる精一杯で嵐を愛して、
嵐はファンの集合体に含まれるひとりひとりをしっかり見て、感謝を伝えてくれて
思いが報われるどころか、むしろまた返しようのない恩を受けてしまったという気持ちです。

わたしは某ジャンプの某ハンタ(某の意味)をニコニコ待てる辛抱強さは持っているので
この恩を少しでも返すためにも
早くまた活動再開しないかなぁ〜! と呑気に思って暮らしていこうと思います。



昨日も今日も明日も、嵐が好きです。
5人全員一生大好きです。
アイドルになってくれてありがとう。
宝物をたくさんくれてありがとう。
こんなに好きにならせてくれてありがとう。
幸せに、健やかに、生きてください。